部長の褒めて殺して。やっぱ殺すのなしで

氾文オーディオ部部長の個人的なブログです。たまにブログ名を変えます。

細々和声

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伊藤友計著『西洋音楽の正体 調と和声の不思議を探る』講談社 2021

 

つい最近出版された本です。前回和声の歴史本を取り上げましたが、今回も歴史本と言えなくもありません。もっとも前者が通史なのに対し、本書はもう少しピントを絞ってあります。ときは16世紀末、モンテヴェルディなる作曲家が世に問うた<つれないアマリッリ>なる歌曲が巻き起こした一大論争と現代をも射程に収めたその派生的影響がテーマです。

 

上に挙げた曲の何が論争の種になったのでしょうか。それは予備を経ない属七の和音から主和音への解決(Ⅴ7ーⅠ)でした。ポイントは無論「予備を経ない」というところです。「トライトーン・サブスティテューション」という言葉を目にしたことはあるでしょうか? わかりやすくハ長調(Cメジャー調)でいうと、Ⅴ7すなわちG7に含まれる「シ・ファ」の音がそれぞれⅠすなわちCの「ド・ミ」へ移っていく音の流れです。音程で表すと、三全音(トライトーン)から長三度となります。この音程関係の推移を音楽用語で「解決」と呼びます。余談ですが、三全音ー長短三度であればⅤ7ーⅠじゃなくてもよくね? ってな具合にありとあらゆる和音で解決を目指したのがジャズです。さてこの「三全音」ですが、ピアノで鳴らしてみるとわかる通りなかなか強烈な響きをもっており、西洋では長らく「悪魔の音程」と呼ばれ神学的にかなり厳密な取り扱いを要求されてきました。それが「予備」です。予備とは三全音(シ・ファ)音程が現れる際、必ずどちらかの音が三全音音程が生じる以前から鳴っているように音を配置することを言います。具体的にいうと、いわゆるⅡーⅤ-ⅠにおいてⅡ(レ・ファ・ラ)のファが伸ばされたままの状態でそこにⅤのシが重なるようにする、という具合です。

さてさて、件の<つれないアマリッリ>は予備無しでこの三全音ー主和音をやった結果、神の意に背く所業だと当時の大御所たちから痛烈な批判を浴びます。そのまま消えていってもおかしくない世相のなか、なんとこの曲の作曲家(の弟)は批判に答える形で作曲の意図を公表します。曰く、歌詞の情感を優先した結果予備を経ない跳躍的な三全音を用いたのだ、と。この逸話をマクラに本書は今日的な調性と和声が如何にして出来するに至ったのかを原典によりながら詳述します。「悪魔の音程」という言葉は目にしたことがありましたがこういう由来があったのかと非常に勉強になりました。前回の和声の歴史のバックグラウンドにあたる内容ですので、併読を強く勧めます。

 

さてさてさて、ここからは一読者としての単なる感想文になります。

本書、いかにもアカデミシャンがアカデミックに書きましたという感じで終始固いです。講談社メチエなので一般向けに多少手を緩めている節はありますが、それでも固い。わたくし長らく大学なんぞに属していたわりにこの手のアカデミック書き物が滅法苦手で、ここだけの話だいぶ辛かったです。むしろこれが読みやすいと感じる方もいるでしょうが。ちょっと面白かったのが、本書にはしばしば次の章なり節なりの内容を簡単に先取りした文言が現れます。なんか既視感あるよなぁと思いながら読んでいたのですが、ふとこれこそまさに「予備」だなと思い至りました。なんというか、きちんと予備をする書き手が予備無しの破格作法のお話を至極真面目な語り口で述べているそのギャップが、なんだか微笑ましかったです。