部長の褒めて殺して。やっぱ殺すのなしで

氾文オーディオ部部長の個人的なブログです。たまにブログ名を変えます。

伊澤修二ノート

www.shunjusha.co.jp

 

奥中康人『国歌と音楽 伊澤修二がめざした日本近代』 春秋社 2008

 

 これは、明治期に官僚として音楽教育の分野で活躍し、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部の前身)の初代校長を勤め、最終的に貴族院議員にまでなった伊澤修二という人物を中心に、日本の近代化と音楽教育がどのような関係にあったのかを綴った、評伝と歴史書の合いの子のような書物である。音楽書を読むブログの実質一発目がコレかよ、と思わないこともないが、まあ面白いのでわたし的には断然アリである。

 カラオケでもバンドでもいいし、なにかの曲を聴いて踊り狂うでもいい。その土台にあるビートに合わせてリズムに乗れる体というものが、こと日本においてはもっぱら規律正しく行進できる近代的な軍人をつくる目的で輸入された代物であると言われたら、果たしてどう思われるだろうか。本書の第一章「鼓手としての伊澤修二」によると、武士もいれば農民もいる、出身地が違えば言葉も通じない人々をまとめあげ軍隊に仕立てるに当たり、文字通り足並みを揃えるのに一役も二役も買ったのが、御雇外国人の音楽教師が指導した西洋式の「ドラム」だったのだという。

 こんにち音楽といえば西洋由来の芸術あるいは娯楽の一分野をさすと大方の人は考えるだろう。しかし伊澤修二を初めとする日本における西洋音楽第一世代にとって、それはどちらかというと体育や道徳と組み合わせ軍人たり得る人材を育成するための教育の具であり、かつまた彼らがめざした軍人の均質性とは日本国民の近代化の基礎となるべきものだった。

 思い越せばわたしが小学生の頃はまだ運動会の練習という建前で、教師の音頭に合わせて行進や組み体操などさせられたものだ。芸術・娯楽としての音楽という一般通念がひろく行き渡る裏で、百数十年前とほとんど変わらない形で音楽を使った教化が行われている。わたしたちを近代人にしようとしている。我が身で経験していながらそのことに無自覚であったことに本書を読んで気付かされた。

 本書を読んだ夜、わたしは独り布団にくるまれながらうなったものだ。果たして、伊澤修二(に端を発する音楽公教育全般)を恨むべきか、それとも感謝すべきか。恨むというと少し語弊があるかもしれない。もう少しざっくばらんに言えば「お、音楽を戦争の道具に使いやがってコノヤロウ」といった感じだ。だが、このような価値判断がきわめて現代的な音楽=芸術・娯楽観一辺倒であることは一目瞭然である。本書の著者奥中氏も先行文献を批判的に読解するうえで、明治期の教育による軍人≒近代人育成のための手段として音楽を取り扱うその姿勢を現代的な審美観でもって断罪するのは筋違いだと何度も諫めている通りだ。

 実際のところ、一切の初等音楽教育を受けずいま現在わたしが愛好する音楽を聴いたとして、存分に堪能できるとは到底思えない。たとえ出自がどうであろうと、そして如何に不快なものであろうと、音楽公教育によって現在のわたしが形成されたことは否定しがたくあり、一概に憤ってばかりいるわけにもいかないのだ。現状では恨み七・感謝三くらいのところでバランスをとってなんとか気を紛らせている。

 話を一度伊澤修二その人に戻すが、この方の来歴もなかなかどうして面白い。当時の官製留学組(スーパーエリート)のひとりとして米国へ渡り音楽以外にも食指を伸ばし様々勉強されたようだが、聾唖者への言語教育法を学ぶ一環としてなんとグラハム・ベル(本書では「グレアム・ベル」表記)の知遇を得ていたというのだ。電話の発明者として名高いベル氏だが、オーディオ的にはかのウェスタン・エレクトロニックの関係者としても知られている。いやはや、思わぬところからオーディオ部っぽい話に繋がった。

 最後に著者奥中氏について。わたしはこの方の著書を読むのは初めてだったのだが、情報の収集と取捨選択と配置の妙技が冴え渡っており大変感銘を受けた。端的にいって、非常にうまいのである。学生諸氏、とりわけ資料に当たらないと話にならないような類の研究を志されている方は、内容に関心がなくとも目を通して損はないと思う。